社長のコラム(2017年6月)

2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 自社の看板・広告・ホームページ等をデザインしていると、わからなくなってくる。結局は時間をかけて考えるものの最後まで満足できる事はない。会社の利益を上げるという最終目的を果たす為に広告する事は解っているが、本当に伝えたい事を掲載したいし、かっこよくデザインしたい。そして、何よりも、競合他社と似たり寄ったりの広告にはしたくない。これらを妥協せずにすむのならば、私はもっと広告宣伝費のウエイトを増やすだろう。最近では、社外(顧客等)だけでなく、社内(スタッフ)にも伝ってないと感じる事も多い。それ以上に私自身が自社を表現出来ていない。弊社も私もスタッフもバージョンアップ(時にはダウン)しながら成長していくものだから、そのステップの中で基本がわからなくなるものだと楽天的に考えてもみるが...。企業理念に基づいた仕事と利益を上げる仕事を両立させなければ、どこかで、会社は病気になるのではないかと、私はこれまでも今も思っている。だからこそ、目先の利益ばかりを優先させないできたが、競合他社と今を戦うには目先の利益優先型になりかねない。今すべき事がわかった様な!(6/28)
- 私が何かを購入したりサービスを受ける際に、店員さんには私の意向を考えたお仕事をして欲しいと思う。また、弊社スタッフにはお客様のご意向だけでなく、社長の私の意向を重視していただきたい。私が求めている事をやってもらえなかったり、思惑と異なる事を言われたりされたくない。人によっては一回で伝わるが、そうでなければ複数回繰り返し伝える。それでも駄目なら諦める...。真逆な存在として、ベストなのは意向を伝えていないにも関わらず、それをくみ取った言動をしてくれる超人。次に、常日頃から私をよく観察してくれて、物事ひとつひとつについて詳細に意向を伝えなくても、それを予測できる人。ちなみに、社内では、その見込みがあり、それをやって欲しいと思う希少な人を厳選している。その選ばれた人には、いつも私と一緒に行動していただき、更に私の事、そして、当社の事を深く知っていただきたい。まだまだ、その途中段階ではあるが...。最も大切な事は、相手がやって欲しいと思う事に的を得ているかどうかであり、更には、期待以上に...。私はもう少し自分自身の気分を重視する。(6/24)
- 私は人に気を遣って生きてきた。きっと、私をよく知る人達もそう感じられてるだろう。人の感情の動きに敏感になる私の癖は、社外だけでなく社内、そして、私がお客様の立場になった時にさえも...。その結果、自分の気持ちを殺して相手の気持ちを優先させる事になりかねない。営業マンとしてはそれがプラスであったが、社長としてはマイナス面の方が多い。社長というのは正義を貫かなければならないのに、人に気を遣ってばかりいては、その内、私の正義を他の正義によって潰されかねない。そして、ストレスに潰される。お客様やスタッフが離れない様に、ハラスメントにならない様に、悪い噂を立てられない様になどと、いつも、ビビッている。奴隷のような気持ち...。小泉純一郎元総理の名言のようだが、たまに、ぶっ壊したくなる事もある。そういう中、私を楽にさせてくれる人と出会うことがある。例えば、信頼を受けていると感じる時、気持ちが通じて共感いただいた時、楽しい気分にさせてもらった時...。そして、受身だけでなく、私が誰かを信頼して、誰かに共感出来て、誰かを楽しい気分にさせる事が出来る事も含む。結論、気を遣うのが悪いのではなく気を遣わない人が悪い。(6/21)
- 通常であれば土日にコラムを書くのだが、頭が疲れていてどんなに努力をしても何も書けなかった。今朝も、調子がよい訳ではないけど、月曜の朝からキーボードを打ち始めた。こんな時には、週3回、間違っても毎日コラムを書くなんて約束をしてなくて良かったと思う。週2回を続けるのですら、ギリギリなので...。思っている事を素直に書けるならば、簡単なのだが、そんな訳にはいかない。私にだって立場というものがあるし、恥しいという気持ちもある。それに、文章によっては、人を不快な気持ちにさせるし、場合によってはコンプライアンスにも絡んでくる。そういった意味では、本領発揮する訳にはいかないのだ。その日によって気分が変わるので、特に気分が沈んでいる時にはネガティブ過ぎない様にする為にも、文末だけでもポジティブさを出す等の細工をしたり気をつかう。そうしているうちに、文章につられて気分が少々上がることもあるので助かる。コラムを書く事によって、疲れてしまうのか、それとも、元気になっているのか、どちらの要素も含まれている様だ。とりあえず、続けていこう。(6/19)
- 何だかあの人は大変みたいだけど、自分には対岸の火事だから関わらないでおこう。そんな気持ちなのか涼しい顔をしている。私も傍から見たらそんな無関係そうな顔をしている事もあるだろうけど、こんな私の事は棚に上げて話をしたい。少し前に、少年犯罪の被害者家族の気持ちが表現されている天使のナイフという推理小説がドラマ化。被害者は痛み恐怖を感じながら人生を強制終了させられ無念だっただろうし、被害者の家族や友人などの憎しみの向かうところがない。今、こうして書いている私ではあるがあくまでも自分自身の事ではないので冷静で客観的である。どうしても、被害者の気持ちと同等レベルまでにはなれない。もしも、同じ経験をしているのあれば、無理にその温度差を埋める必要もないけど...。仮に被害者家族の気持ちを直接お聞きするとして、私はどこまで、その気持ちに近づく事が出来るのだろうか?被害者家族も私との温度差を差し引いてくれると思うけど、それでも、埋まらない時には、話さなければ良かったとガッカリされるだろう。ところで、世の中には、ガッカリさせない為の配慮が出来る人出来ない人がいるようだ!(6/14)
- 多忙である事と暇である事のどっちが楽なのか?忙しすぎるのもキツイけど、今から何をしたら良いのかわからなくて時間を持て余すのもツライ。詳細に決められた事をコナスだけであればあまり頭を使わずにすむ。それに対して、自分自身でやる事を見つけださなければならないとしたらどうだろう?なかなか見つからない時は焦ってくるはず。例えば、今日一日の段取りよりも、数ヶ月、数年単位など長期になる程、今すべき事がわからなくなる。そうこうして、やっと見つけた仕事なので、もう二度とこんな気持ちになりたくないと明日以降をルーティン化しようとする。決して、それが悪い訳ではないけれど、業種、役職などによってはマズイ。想像性を大切にする業種の方や経営者が用意された仕事をこなしていてはいけないだろう。頭を使う事によって疲れた上に、目に見える達成感がないから、私も自然と楽な方を選択してしまいそうになる。しかし、そこをグッと我慢して、折角見つけたその仕事を誰かに譲らなければならない。その仕事をやってくれたらまだいいが、やってくれなかったり三日坊主だったりするとショック!ルーティン化すら出来ない人も存在するのだ。(6/10)
- 昨夜、福岡大名~天神付近を一人散歩。少し肌寒い夜風を気持ちよく感じながら...。飲食店を探す事と、アイデアの種を探そうと、最近、通ってない道を歩いてみた。業務中は部屋に閉じこもっている時間が長く、頭の中を占領しているのは人や売上の管理。その上、週休0日の為、解放される日がない。自由な時間をつくり、この呪縛から解かれない限り、新しい何かが生まれないのではないかとも思う。週休0日を解消するには今しばらくは無理だから、せめてもの抵抗として、夜の時間を活用しているのだ。例えば、美容室に行くのも深夜23時すぎを利用している程である。勿論、ジムも仕事が終わって21~23時あたりで!こんな私の為に、洋服屋さん、電気屋さん、病院や役所なども、深夜営業して欲しいと思うが...。そして、もうひとつはストレス解消や健康維持にも時間と費用が発生する。腰痛をはじめ体のあちらこちらが痛くて疲れている。整骨院では筋肉の鎧を着ているのでこうして仕事が出来ているが状態はよくないと言われる。深夜にマッサージ店にいく回数が増えている。何とか、報われて、アイデア脳が完成する事を願っている。(6/7)
- ドラえもんの腹部には四次元ポケットが装備されている。四次元とは一体何なのか? それは三次元にプラスして時間軸で構成される空間であり時空を超えるもの。0次元から順に、点、線、平面、立体、そして、立体に時間を加えた四次元という事になる。私の勝手なイメージで言う三次元は静止画であり、四次元は動画をイメージする。三次元までは簡単に説明出来るが、四次元からはそうはいかない。今という瞬間をストップウォッチで止めておけるならば簡単なのだが、そんな訳にはいかない。時代は変化していくから、10年、20年という長期計画は難しくなる。100万円を貯めるという目標を立てたとしても、その時代の100万円がいくらの価値なのかよくわからない。今の半分の価値すら無いかもしれない。四次元には時間軸という不安定な要素があり、先々の約束がされてない。この不安感は悲観的にも楽観的にも...。今、八方塞がりだったとしても、四次元の世界では後には解決して可能性が広がる。このコラムも同様で書き始める際にテーマが用意されていた事はほとんどなく、書きながらテーマが生まれてくる。(6/5)
- 昨夜まで福岡に2連泊して、今朝、高速バスにて本社に戻っている途中に、このコラムを書き始めた。通常は一泊して夜のうちに戻るのだが、昨夜は福岡ヤフオクドームにて野球観戦の為、もう一泊...。この日は、年に3日間というドームの屋根を開けた状態で試合をする希少な日らしい。但し、ソフトバンクが勝っている時には、その屋根は7回から閉まるとの事で、私が到着出来たのは7回途中からだったので残念ながら見逃した。私がこういうチャンスをいただけたのは、ジム仲間からご招待いただいたからである。試合後にはドーム併設の居酒屋さんで打ち上げという具合に楽しめたのも、その方のおかげであり感謝している。何かお返し出来たらと思うがどうしたら良いものか?こんな気持ちになれる事自体に幸せを感じることが出来る。同様に、誰かに与える事を幸せと感じる。逆に、奪われたり奪ったりという気持ちになる事が不幸。与えると損で奪ったら得するというのも間違っていないが、幸せな気分になれるのは与えたら幸せで奪ったら不幸なのだ!受動的、能動的のいずれであろうと同様...。 (6/1)
-
2017年5月
-
2017年4月
-
2017年3月
-
2017年2月
-
2017年1月
-
2016年12月
-
2016年11月
-
2016年10月
-
2016年9月
-
2016年8月
-
2016年7月
-
2016年6月
-
2016年5月
-
2016年4月
-
2016年3月
-
2016年2月
-
2016年1月
-
2015年12月
-
2015年11月
-
2015年10月
-
2015年9月
-
2015年8月
-
2015年7月
-
2015年6月
-
2015年5月
-
2015年4月
-
2015年3月
-
2015年2月
-
2015年1月
-
2014年12月
-
2014年11月
-
2014年10月
-
2014年9月
-
2014年8月
-
2014年7月
-
2014年6月
-
2014年5月
-
2014年4月
-
2014年3月
-
2014年2月
-
2014年1月
-
2013年12月
-
2013年11月
-
2013年10月
-
2013年9月
-
2013年8月
-
2013年7月
-
2013年6月
-
2013年5月
-
2013年4月
-
2013年3月
-
2013年2月
-
2013年1月
-
2012年12月
-
2012年11月
-
2012年10月
-
2012年9月
-
2012年8月
-
2012年7月
-
2012年6月
-
2012年5月
-
2012年4月
-
2012年3月
-
2012年2月
-
2012年1月
-
2011年12月
-
2011年11月
-
2011年10月
-
2011年9月
-
2011年8月
-
2011年7月
-
2011年6月
-
2011年5月
-
2011年4月
-
2011年3月
-
2011年2月
-
2011年1月
-
2010年12月
-
2010年11月
-
2010年10月
-
2010年9月
-
2010年8月
-
2010年7月
-
2010年6月
-
2010年5月
-
2010年4月
-
2010年3月
-
2010年2月
-
2010年1月
-
2009年10月~12月
-
2009年7月~9月
-
2009年4月~6月
-
2009年1月~3月
-
2008年
-
2007年
-
2006年