社長のコラム(2016年3月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 常日頃、注意深く行動しているはずなのにミスをする。行動する前に確認したにも関わらず、解釈を間違っていたり見落としてしまう事がある。だからこそ、万一の為に目だけに頼らず、耳も使ってみる。しかし、それでも、問題点を見つけきれない事が稀に起こる。稀に起こるミスという言い訳は通用しない、ミスは一度でも起こしてはならないものだから、更に細心の注意を払うべきだ。そこまでやっても、結果的にミスをしていたなら、今後の二次災害対策が必要となる。これ以上に問題が拡大しない様に対策をしたい。特に誰かに迷惑をかけている場合には、これ以上、ご迷惑をおかけない様に最善を尽くす。先日、端を楽にするという内容のコラムに書いているが、ミスをするという事は、人を楽にさせるどころか苦しめる事になる。人を救いたい気持ちでやった事が、反対に苦しめる事になる。一回のミスによって人を楽にさせよう行動する何倍もの苦痛を誰かに与えるといっても過言ではない。こんなことを考えていると誰にも関わらずにいた方がいいとか考えるようになるのかもしれない。何もしない事もそれなりに人を苦しめているのだろうが...。(3/30)
- 働く事を当字で「端を楽にする事」と解釈するとしたら、私は誰かを楽にさせてあげなければならない事になる。なるほど、その通りだという感じがしてきた。楽(らく)の意味とは「心身に苦痛などがなく快く安らか」「生計が豊かな」「簡単」というもの。職場において私達は一体、誰を楽にさせたらいいのか?その問いにお客様を楽にさせたらいいと言えばそれで話が終了してしまう。その対象を広げるとスタッフ、そのスタッフにとって忘れてはならないのは人ではないが会社がある。私の働くには、プロとしてお客様を楽にさせる事と併せて、スタッフの生活や会社を豊かにさせる事なども含まれる。そして、お客様、スタッフ、会社の三社をシナジー効果を持って楽にさせなければならない。スタッフ間でもお互いに仲間を思いやり、少しでも周囲を楽にさせてあげる様に働く事が大切。ここで、対照的な話とも捉えられるスタッフ間の仕事のシェアリングをしてはいけない。仕事をスタッフ間で分け合う事によって、お客様、スタッフ、会社の三社が共倒れする。スタッフ間では最小限のシェアリングと思いやりを持って働く必要がある。(3/27)
- お客様のご意向通りにする事は良い事なのか?この件については賛否両論あるだろう。お客様が情報の欠除・誤り・偏り等により、ご意向が決められていた場合には、それを正していくべきだろうし、そうでない場合には、素直にご意向に従った方がいいだろう。そもそも、お客様が間違っていて、私どもが正しいとも限らない。私は長年の勘でお客様のご意向が正しい方向を向いているのか、そうでないのかをおおよそ見分ける事が出来る。そんな私だったとしてもノーマークだった考え方をお客様はお持ちなのかもしれないと向き合っている。時には、明らかに間違った方向へお客様が向かわれた際には、熱意を持って正常化させようとする。お客様の声からだけでなく言葉にならない心の声が聞こないかと努力してみると何かを感じる。鳥の目になり虫の目になり、お客様がある別れ道で判断され様としていたら、ひとつ前の別れ道で間違った道を歩まれている事が解り、そこから解決出来た場合等、いい仕事が出来たと思う。まとめると、ご意向は聞くべきだが言葉だけでなく心の声も一緒に!そして、根底からの解決を目指す事。(3/24)
- 全ての自動車をF1ドライバーレベルの人しか運転できないとしたら、きっと、高速道路の法定速度100㎞よりももっと早いスピードで走れるようになるのだろう。時速150㎞くらいでは走れるだろうか?ドイツのアウトバーンの様に速度無制限にしても問題ないかもしれない。そこまでのレベルとなるとほとんど誰も運転できなくなるので、そのレベルはよく検討して決めた方がいいと思うが、今の高速道路のスピードはあまりにも低速過ぎると思う。私はよく高速道路を走りながら、運転技術レベルが低い人、安全レベルが低い自動車が走っているのを見ると法定速度100㎞は納得できる。走行できる人と自動車の最低レベルを上げるか?速度制限するかの二択になってしまうだろう。そのバランスをどこでとるのかが重要である。さて、この様に低レベルに合わせて規則を厳しくしている事はたくさんある。低レベルというと技術だけではなくモラルについても言える。モラルが低い人に合わせて、個人情報保護法という法律が必要になったようなものだ。そして、私どもの業界では、低レベルな保険募集人に合わせた法規制が整えられていこうとしている。(3/20)
- 毎日毎日、伝言ゲームの繰り返し。正確に伝えたいのに人から人へと話が伝わる度に少しづつ変形していき最後の人に伝わった内容と発信者が伝えた内容に差が生まれてしまう。私が発信者だったとして伝言した直後、受信者に対して今何を伝えたのかを確認すると一人目なのに早くも伝わってない事がある。同時に数人に対して同じ話をしたとして、それぞれの受け止め方には差がある。究極のケースでは善意で話した事を悪意だと捉えられる等、正反対の意味合いとして伝わる事もある程。弊社では会社設立時期には全ての保険相談を私がやっていたが、スタッフにお客様対応をお任せする事になって以来、私は各スタッフに直接、指導している。お客様とスタッフに伝える内容の相違点のひとつには、伝言ゲームの最終者かどうかの違い。スタッフは受信した内容をお客様に伝える役目を持つ為に、自分自身が理解しただけでなく、それをどう伝えるかという事までが大切である。そして、お客様から発信された内容を正確に受信して、耳だけでなく心の声で聞き、その発信されたものを正常化し、的を得た改善案を述べることができる様になってもらう。(3/16)
- 今日は3月12日だから「財布の日」らしい。私の財布は黒い革の長財布。そういえば、この財布、数ヶ月前に紛失し必死に探した苦い思い出がある。不幸中の幸いにも見つかった奇跡の財布は今も私の側にある。あなたは「不幸中の幸い」と言われるように救われた経験はあるだろうか?思い起こすと私は何度もありがたく最悪の事態から救われてきた。私は人生の半分以上を「保険」に関わって生きてくる中で「不幸中の幸い」という結末の物語を知っている。保険の特性がそうなのだから当然なのだが...。保険が宝くじであるのなら、それは不幸なことが起きたときに当たりくじが出る仕組み。たまたま偶然に悪いことがあったら、それ相当の良い事がある約束があったら幸せだ。それを偶然ではなく必然とする為に「保険」に契約するのだ。私どもはこれから起きるかもしれない最悪の事態を予測し、それを不安という。不安は人生の質を低下させてしまう。行き着くところ、保険とは私達から不安を取り除き人生の質を高めてくれるものという事になる。保険は私にたくさんの元気を与えてくれた。(3/12)
- 先程、私は佐世保のラジオ番組に3~4年ぶりに出演。最初、緊張のあまり手の平が冷たく、1時間番組が終わってみたらいつの間にか体全体がホカホカと温かく。一言で言うと、今、楽しい気分!何が楽しいのか?それは非日常であり新鮮な気分と緊張感もある。何よりも、公共の電波を通じてお話できるなんて嬉しい。今日の私は「気分上々」。そもそも私達は「気分上々」でいられる様に色んな事をやっているのではないか?美味しいと思って食べる料理、気持いいと思って入る温泉、楽しいと思って旅行したり、陽気な気分になる為にお酒を飲んだり...。保険だって例外ではなく「気分上々」な気分になる為のもの。少なくとも、私に関わった人にはそう思っていただけるようにお仕事させていただいている。保険が「必要」(NEEDS)でなく「欲しい」(WANTS)である事を感じたなら、保険への見方が変わるはず。人と物やサービスとの関係だけを指すのではなく、人と人との関係についてもお互いに「気分上々」であるべし。特に人の好意や善意をいただけた時の気分は最高!(3/9)
- 左手には盾、右手には剣という古代ローマ軍で見るスタイル。サムライは日本刀を持つが盾を持たずに戦っている。どちらが強いか問うとしたら賛否両論に分かれる予測がつく。テーマを絞り、飛び道具への対応力であれば古代ローマ軍のスタイルの方が盾によって守備ができる分強いだろう。サムライは日本刀を自在にあやつり防御から攻撃までをこの剣ひとつにかけてきたが、飛び道具によって遠くから狙われて呆気なく最後を迎えるだろう。そして、現在、右手にあるものは剣よりも銃に!こうして戦士の「在り方」は対戦相手によって変化していった。ちなみに戦士の在り方とは自分を守り敵を攻撃するものである。私どもの様に商売人も商売敵と戦うという意味では戦士であり、商売敵の武器などへ対応できる様に準備が必要だ。その対策として、最も重要なことは敵が調達できそうにない有力な武器を揃えるという事である。私は弊社スタッフに「伝家の宝刀」とも言える武器を渡そうと準備している。それを受けとれるのは、真のほけん工房スタッフである人に限られる。・・・というよりも、そうでなければ渡しても使えない。(3/7)
- 一度くらいは、私は何をする為に生まれたのだろうと考えた事くらいはあるでしょう。自分自身の存在価値、存在意義とは何なのか?まずは自分しか存在しないのであれば、私自身が感動したり気持ちよかったり美味しいとか楽しいと思ったりする為に生まれてきたのだろういう解釈でいいはず。自分以外が存在する社会では、周囲に嫌がらせする事を楽しむ人もいるだろうが、通常、周囲が楽しくないと思っていると感じたら、自然と自分自身も楽しくなくなるものだ。他人の幸福が自分自身の幸福でもあるからこそ、他人の幸福を願うという面もある。つきつめると自分自身がハッピーである為に生まれてきたのである事にかわりない。御幣があるかもしれないが、自らの命に代えて人を救う事が、自らをハッピーにしないのであれば救わない方がいい。人の命が失われるくらいなら自らの命に代える方が幸せだと感じる場合のみ許される事だと思う。重苦しい話になったが、ここまで掘り下げてこそ「在り方」というものがわかる。会社や保険代理店の在り方、保険販売員の在り方、保険商品の在り方等、物事の正しい存在の仕方について...。この続きは次回とする。(3/2)
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