昨日から、大阪に一泊して、地下に潜ったり、空を飛んだりで...。そんなの当たり前なのかもしれないが、いつも通り、飛行機、高層ビル、地下鉄、地下街等を利用していて、そう感じた。飛行機は別として、これらは、都会にしか存在しない。その中でも、特に、地上よりも賑わっているという地下に注目。地元の方の移動のほとんどは地下鉄らしい。地下鉄で移動し、地下街で飲食して、地下からビル内に入り用事を済ませる人も多いとか...。こうして、地下鉄と地下街と高層ビルを組み合わせると、雨に濡れず、日焼けをせず、信号待ちもせずに、効率よく移動して用事を済ませる事が出来る。面積(絶対量)という制限があったらからこそ、平面的では無く立体的、そして、複合的にする事で、問題を解決して、更に、ステップアップしたのだ!(10/30)
前向きな人、がんばっている人は、私に元気を与えてくれる。面白い人は、私を笑わせてくれる。愛溢れる人は、私をホッとさせてくれる。知識がある人は、私に勉強させてくれる。私は、色んな人から、色んな頂き物をしている。太っ腹なあなた!ありがとう。部屋中が、プレゼントの箱でいっぱいになる程である。これは、知り合いからとは限らず、名前も知らない人からも、プレゼントされる事もある。例えば、微笑みだけでも、十分なプレゼントであるからだ...。いただいたら、お返しするのが、常識。必ず、お返し出来ているかというと、自信ないが、気をつけている。そして、与えられたから返すという後攻ではなく、先行して、先に与えたいと思う気持ちに自然となる。世界中の人々全員が、人の喜ぶ事が、自分自身の喜びと感じるのであれば、なんていいだろう。(10/25)
「素敵な選タクシー」というテレビドラマがスタート。このタクシーの行き先は過去、しかも、間違った選択をやり直す事が出来る。私も、選タクシーに乗ってみたい。少なからずも、やり直したい過去くらいは、誰にでもあるだろう。そのドラマを見ながら思い出したのは、しばらく、前に読んだ「選択の科学」という書籍である。盲目である著者は、その事自体を前向きにとらえていて、目を使わない職業に絞り込めるという事で、迷わずに済むと言う。私たちは意思がある以上、選択をしないで済む日はない。いったい、一日にどのくらいを選択の時間に充てているだろうか?それを無駄な時間だとすると、優柔不断でいる訳にはいかない。そうかと言って、選択ミスは、運命を変えてしまう程、強力である。その対処方法は、直感を磨くという事なのだろうか? (10/22)
これまで、当たり前で何とも思わなかったのに、失ってから、その価値に気付く事ってあるだろう!例えば、実家暮らしをしていた人が、一人暮らしをした時に、これまでに両親がやってくれた事に、有り難味を感じるとか...。こうして、戦争知らずで、平和に暮らせるのも、きっと、誰かに守っていただいているおかげなのだろう。今、身近にいる人や環境が悪く見えたとしても、全く違うタイプの人や環境が見えてきた時に、それまで、悪く見えたものが、自然と、別の角度から見えてきて、その良さに気付くことがある。痘痕も笑窪(あばたもえくぼ)の様なものだろか?良いところが見えると、悪いところは帳消しになるものだ。後で思うと、今は、幸せなのかもしれない。ところで、この精神は、経営するものは、持つべきではなく、今は最低であると考えるべきなのだ。(10/18)
「量より質にこだわるべし」...最近、私の辞書には、ハッキリとそう書かれている。例えば、食に関して言うと、食べ過ぎをやめて、美味しくて、食材がいいものを、少量いただく事。量には限りがある事、即ち、質より量には、限界点がある。時間に置き換えると、わかりやすい。人の寿命は、テロメアという命のロウソクがある限り、長生きしようと摂生をしても、最大120歳程度と言われている。摂生の目的は、長生きの為ではなく、元気で質の高い人生の為にあると考えて丁度良い。最近、私が感じる時流に関しても、一昔前には、量が重視されていたが、徐々に、質を重視され始めている様な気がする。大昔から戦国時代を経て現在まで、量を重視してきたが、それが、搾取、そして、悲劇を生んだ。まだまだ漂流している私の船のコンパスが働き始めた様な...(10/15)
10月中に、新しい道を切り開く何かをやらなければならないという自分自身に対するノルマを与えた。どんなに小さい事であっても、必ず、実行しなければならない。時間がなくても、アイデアが浮かばなくても、そして、損してまでも、何もしなかったでは許されない。もしも、何もしなかった場合には、切腹とまではいかないものの、それなりの覚悟を決める事にする。新しい道を切り開く何かとは、新事業を立ち上げる?イベントを実行する?等、色々あるが、後半月程で出来る事となると一体何があるだろう?ホップ・ステップ・ジャンプのホップ部分でも構わないので、まずは行動を起こす事で、次が見えてくるのではないかと思うのだ。鶏が先か卵が先かという因果性のジレンマ...今回は、行動先行でアイデアを後から生み出すことにする。 (10/11)
私が幸せを感じる時、そこには「人の善意や好意」がある。今日、こうして生きていられるのも、そのおかげである。私の為になりたいと思ってくれる人が応援してくれている。人の真意までは、わからないが、好意的であると感じた段階でハッピーである。その時、私の中に、好意の倍返しをしたいという気持ちが起きる。この気持ちは、私をその様な気持ちにしてくれた人に向かうだけでなく、周囲の人にも向かう。「私発で、好意が循環したらいいなぁ~」という好意製造機ともいうべき存在にでもなりたいというか...。しかし、それは失敗に終わる事がある。好意の好意返しというのは、私の正義であり、好意に対して悪意返しをする事こそ、正義という人もいる様だ。私が敵意を感じるとするなら、人に気付かれにくい悪意返しで成長している人や企業である。 (10/8)
資産運用(投資)には二面性がある...。誰かに損失させて自らは利益を得る「搾取型」か、誰かに利益を与えて自らも利益を得る「ギブアンドテイク型」のどちらかに属する。投資対象の絶対量が決まっているとすると、搾取型はゼロサムゲームとなって、誰かの為になるどころか、迷惑以外の何ものでもない。それに対して、ギブアンドテイク型は、絶対量を増やす事により、分け前を増やすものである。これは、私の経営哲学でもあり、生き方としても、ギブアンドテイク型でありたいと思っている。しかし、ギブアンドテイク型は、搾取型に破壊されやすく、そして、実るまでに時間がかかる。例えば、農作物を一生懸命に育てたとして、それを奪われてしまう等のリスクがある。その為だろうか、人は自然と楽な搾取型へと堕落する。私は諦めない!(10/4)
本日のコラムでは、「依存」によって仕事や買物の質が変わるという仮説を立てよう。依存を理解する上で、コスト意識を持つ事にする。究極には、目を見える様にするには、耳を差し出すという代償をイメージするが、依存する事に抵抗を感じてしまい、自給自足的な考え方になり非効率である為に、山の幸と海の幸を物物交換するという異なる得意分野を活かして、お互いが相互依存する関係づくりをするをイメージしてみる。その発展によって、異なる得意分野を持つ複数の人々が、金銭によって対価を支払うというマーケットが出来たのであろうから、自然に私たちは、自分には出来ない事や不得意分野を、それを得意とする人に依存する事である。即ち、あなたと私が生きる為には、相互依存の関係に、必要とされる事である。さて、その為には、ハイ!何?(10/1)