社長のコラム(2016年1月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 「行政区画の整理を求む!」...本日は好きほうだい私が考える理想を書かせていただく。まずは、県ベースの合併、長崎県と佐賀県の合併、出来たら福岡県との3件の合併を求む。もしも、長崎県と佐賀県が合併した場合、県庁所在地は武雄あたりがベストではないかと思う。元々は長崎県と佐賀県は一部の離島以外、肥前国でひとつだった。実際にも長崎県北部地域の住民は長崎市に行くよりも佐賀、福岡に行く方が圧倒的に多いはず。ちなみに長崎市と佐世保市をつなぐ高速道路(一部高速道路でない)は佐賀県武雄市を経由する。これからの時代、ローコストでいかに大都市とのアクセスをよくするかに懸かっていると思う。長崎県は人口減少し西の果にある事からも大きなコストをかける事は許されないので、福岡市とのアクセスを重要視、または、佐賀県と共有する事が大切。決まった事に対して、今更言っても仕方ないだろうが、九州新幹線の長崎ルートは私の中ではありえない考え!それよりも、在来線を複線化する等の整備や西九州道路を高速道路化する等、優先的に行うべき事がある。少なくとも長崎県北部の未来は長崎県である以上よくない。(1/30)
- 成人したばかりのあなたへ私の持論を申す!自分自身を甘やかさず厳しくあれ!辛さから逃げる事を正当化するため諦めが肝心なんて言っている大人になってはいけない。他人から罰を与えられるな!逃げ場所をつくらない必ずやり遂げる「絶対!」という気持ちを持つべきだ。高校、大学と卒業することができそれなりの成績を達成できたあなたはそれなり努力をして勝ち取ったものだろうが、それが、両親、先生等から厳しく言われて勉強させられ達成できたものなら、会社では通用しない。他人から罰を与えられる事による副作用は将来的に起きやすい。自分自身に罰を与える事が出来る人には、他人から罰を与える必要もなく、褒美を与えた方が効果的であるのに対して、自分自身に甘い人には褒美どころか罰を与えるしかないという悪循環!会社では、そんな人物は足手まといになる。決して自分自身に褒美を与え他人から罰を与えられていけない。他人から褒美を与えられて自分自身からは罰を与えるのだ。前コラム(1/24版)で言う私自身はあなたの模範になっていない。そして、自信や不安という気持ちの元もそこから発生しているという気付きがあった。(1/27)
- 朝起きると近所の子供たちの声がいつもより楽しそう!カーテンを開けるとあたり一面が真っ白に覆われていた。その光景に懐かしさを感じたのは私だけではないだろう。何しろ九州では数十年ぶりの大雪なのだ!私が子供の頃は、毎年の様に、雪合戦をしたり、雪だるま、小さなかまくらをつくったりしていた様な記憶がある。数十年単位でこれ程も気候に変化がある事「温暖化」を再認識させられた。今日の大雪ではなく、雪が降らなくなった事が異常気象なのだ。感動もつかの間、我にかえると大事な問題があった。本日、私の出勤日だったのに交通手段がない事。バス、電車ともに運休、頼みの綱であるタクシー会社には話中で連絡さえとれない。仕方ない事だと済ませたくない。例えば、昨日中に会社の側にあるホテルに泊まる等していたら問題なかったのだ。これは、絶対に出社しなければならないという気持ちが欠けていた為に招いた失態。今日中に会社に移動出来るならば、明日も続く大雪対策としてホテルに前泊する予定。私も言い訳をして楽な道を見つけ様とする弱い人間なのだ。(1/24)
- 新ドラマ「わたしを離さないで」、映画「アイランド」の共通点は、生まれ持って特別な条件で生かされている臓器提供者である事。自分自身の意思に関係なく、自己犠牲のもとに他人に臓器を提供しなければならない。これは現実離れした話ではなく、世界の一部では臓器売買が行われていると聞く。動物たちにまで拡大解釈すると、養殖された魚類、畜産など食物としての役割を果たす為だけに、この世に誕生した事を悲しく思う。食物連鎖は動物同士の弱肉強食のように自然なことなので仕方ないのかもしれない。しかし、生まれ持って食物や臓器提供者という存在価値でしかなかったとなれば話は別だ!しかも、それを意識して、自分自身が食物である事を知っていたともあれば...。中には人に決めてもらいたい事や選択肢がない事によって幸福を見つけることができることもあるだろうが、生き方、生まれた理由、存在価値は自分自身で決めたい。あなたの存在を正しく認め、同様に、私の存在を正しく伝えていけたらと思う。この延長で、感情を持たない「ほけん工房」そのものの存続価値をどう伝えていくのかも私の役割であると認めている。(1/20)
- 保険相談する前後では相談後の方がよくなるものだが、その多くは悪くなっているのではないかとさえ思える。しかも、それを良くなったと勘違いしているだけなのではないか?その真意を探求する中で、愛想でごまかして肝心な保険のプロして力を発揮できていない保険募集人が多いのではないかという事につながった。保険を理解できない人でも、接客態度には敏感な人が多い現状で、効率よく営業するには保険のプロとしてよりも愛想よくしておく方が賢明であると判断する。しかし、弊社スタッフがお客様に対してすべき事は、保険のプロとして仕事をして、接客業に逃げないように伝えている。【働く≒傍を楽にする】だとすると、保険のプロしてお客様を楽にしてあげるべきポイントは自ずと解る。極論をいうと保険のプロとして力を発揮できたら接客業という働きは不要であり、愛想がなくても問題ない事になる。それでも愛想も大切にするのは、お客様には少しでも気分よく楽しい気分で保険を検討いただける方が尚更価値があるからである。(1/16)
- 先日、約35年ぶりの凧揚げ!小学生の頃、棚田(段々畑)で鍛えただけあり直ぐに勘を取り戻した。電線など障害物がない広い公園で、丁度いい安定した風が吹いているという好条件だったので、私の実力とは言えないのかもかしれないがなかなかだった。凧揚げにもコツがある。例えば、凧は揚がってしまったら上昇気流にのっているので、時々、糸を引いてみる程度でOK。それでも、駄目なら後に下がり、全く風が吹かない時には糸を巻きながら凧とは反対側に走る。予め後に下がれるスペースを確保しておく必要がある。たまに風向きが変わる事があるので、どのスペースにも余裕を持っておいた方がいい。低空飛行で墜落させずにいるのは簡単ではなくて引いたり走ったりと大忙し。地面に近い事、風が弱い事が原因だろう。そうかと言って高ければいいという簡単な問題ではない。糸が切れるリスクや凧を破損したり失ったりする確率が高いのは糸を伸ばして高く揚げている時。凧揚げに人生や経営と共通する何かを感じていた。私の凧は何処を飛んでいるのだろうか?(1/13)
- 体内で戦うヒーローの名を「免疫」と呼ぶ!彼らは体に入ってくる細菌から私達を守ってくれる正義の見方で頼りになる。しかし、そんなヒーローが不必要に攻撃することにより私達を苦しめることがある。この様に免疫の過剰反応により起きる弊害をアレルギー反応と呼んでいる。私達を守ろうとした結果、行き過ぎただけなので彼らに悪気がないのは解っている。私も花粉症に悩ませられている一人で、免疫たちにはやり過ぎない様にお願いしているものの免疫たちにいなくなって欲しいとは思っていない。当然、無菌室の中で生きていけるのならば免疫は不要という事になるが、突然、無菌室から追い出されたら最悪の事態となるだろう。今、私達が無菌室の中にいるのならば、いつか、外に出なければならなくなった日の為に、お客様・弊社スタッフ・友人知人・家族・そして私自身にも、この事態から救われる様に、免疫力をつけてもらおうと努力する。この善意は無菌室の部屋からは悪意にしか見られないもので、部屋の外に出たとき、はじめて気付くものだとしても...。(1/10)
- 本日、私のスケジュールは、朝11時から夜10時近くまで、途中30分程途切れただけで、ずーっと接客をしていた。汗水垂らして働いた後、仕事帰り際に食べた好物の博多ラーメンが、いつも以上に美味く感じた。そして今、最終便の高速バスに揺られながら、報告書をまとめるなどした後、このコラムを書いている。この調子だと深夜2時すぎに自宅着、寝床に着くのは朝方4時くらいになるだろう。私は経営に集中する為にも、極力、接客業務をしない様にしているものの、週2~3日程度、集中して対応させていただいている。決して、接客業務、保険相談業務が嫌いな訳では無く、特に、お客様との信頼関係が築かれていっていると感じる瞬間、私の気分は上々となる。私には、ひとりひとりの相談をいただく度に、波乱万丈の後にハッピーエンドが待っているストーリーを描き、それにあわせて保険などの金融商品を案内している。その結果、きっと誰も考えたことがない解決方法を編み出してきた。次に私がすべき事は?(1/7)
- 謹賀新年。あなたは年末年始をどのように過ごされただろうか?私は大晦日から広島市まで片道6時間近くかけてマイカーを運転。片道400kmも運転するのは25年ぶりくらいだと思う。毎年、年末年始の旅の行き先は、弊社が店舗展開を検討している都市の市場調査を兼ねている。その他、名古屋、横浜などの候補地域があり、広島市をどのタイミングで新設するのか未定ではあるが、今回の調査で広島市への展開が一歩近づいたのは確かである。折角、広島市まで来たついでに、呉市まで足を伸ばしてみた。呉市は私が住む佐世保市と同様、海上自衛隊がある街。そこには大和ミュージアムという施設があり、戦艦大和を中心に悲惨な第二次世界大戦や技術力などが描かれている。私はここで、大切な気付きを得た。あの数年でつくられた技術を応用して高度成長して、今日の日本を支えている事。私どもは、あの時代の人々にストイックな面で大差をつけられている。今の日本の存在はその頃の惰力だったりするのかも。(1/4)
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